体験記

クリエイト速読スクール体験記 '98

読むことと、走ること

1997年司法試験最終合格 持田 秀樹

 クリエイト速読スクールは、「地味」である。ここで速読を学ぶと、「10分で六法全書が読めるようになる」ことはない。雑居ビルの中の、小さな教室で細々とやっている。クリエイトを選んだ理由は、実はそこにある。「3~5倍の速さで読めるようになる」という控えめな宣伝文句と、体験受講で拝見した寺子屋的な教室運営に、正直さを感じたのだ。仕事の傍ら勉強をしている私にとって、この上、速読スクールに通うことは、困難に思われたが、勉強に行き詰まっていたこともあり、思い切って、申し込むことにした。

 速読の訓練は、刺激に満ちて、心地よさをもたらすものだった。特に、イメージ重視の訓練は、抽象的な概念を覚えることに疲れていた頭を、リフレッシュしてくれた。10回、20回と訓練を重ねるうちに、自然に読む速度も速くなる。講師の皆さんもフレンドリーだ。「寺子屋的な」という印象は、当たっていたようである。

 読むことは、走ることと似ている。速読を、しばらくやってみて、こう思った。走ることを続けていると、少しずつ、長い距離を、速い時間で走れるようになる。しばらくサボると、少し走っただけで、息切れがする。一方、速く走れるようになったからといって、野球や、サッカーがうまくなるわけではない。速読も同じだ。初めは、速読をするのができるのは、せいぜい1頁。訓練を続けるうちに、徐々に長く、速く読めるようになる。やめれば、遅くなる。速く読めるようになったからとて、試験の成績が急上昇しるものではない。言ってみれば、速読は、基礎体力のようなものではないか。

 私自身、速読を学んだのが平成5年(1993年)、短答に初めて合格したのが、平成7年のことである。平成6年の短答では、総合Aながら、落ちている。しかし、歯車が、噛み合いだしたのも、この頃だ。もちろん、それまでも、勉強はしていたのだが、空回りばかりだった。速読の成果で、短答に合格したのかどうかは分らない。打率が上昇したのが、走り込みの成果かどうか分らないのと、同じことである。

 短答は、5回も落第してしまったが、論文は3回目で合格することができた。運に助けられたこともあるが、ぼんくらの私にしては、まあまあかなと思う。短答は、最終合格するまで、苦手意識を払拭できなかったが、書くことに関しては、上手下手は別にして、苦にはならなかった。これも、速読の成果かどうかは、分らない。ただ、機械的な作業を要求されることの多い短答に比べると、事案の全体像を把握して、具体的妥当性を追求しつつ、論理的に解いていく論文試験の作業には、イメージ記憶が役立ったかもしれない。

 論文の発表会場で、宣伝のビラ配りをしていた本スクール代表の、松田氏に出会った。思わぬ合格で舞い上がり、周囲が目に入らない私を、向こうから見付けて下さったのだ。もう3年も教室に顔を出していないのに、覚えていてもらったことには、驚いた。そういえば、短答に合格したときも、励ましの葉書が来ていた。相変わらず、寺子屋的にやっているようだと安心した。

 合格後、速読訓練を再開した。ブランクがあったので能力の低下は否めないが、徐々に、ではあるが元に戻りつつある。合格しても大して暇にはならないが、何とか時間を見つけて通うことにしよう。また、とうとう中年太りが始まったようなので、ついでに、ジョギングを始めようかとも思う。走ることと、読むことは似ているのだから。

 クリエイトには、大企業的な経営を目指さずに、ぜひこのまま、こぢんまりとした、居心地の良い寺子屋でいてもらいたい。私のわがまま、かつ、率直な希望である。もっとも、そうすると、松田氏には、ビラ配りを続けさせることになり、少々お気の毒ではあるが。

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この1年間で急速に成績が伸びた

1997年司法試験最終合格 関根 良太

 択一発表後(不合格)、私は、試験で時間が足りなくなってしまったこと、また、来年最終合格するためには人一倍の勉強が必要だと感じたことなどから、速読をマスターすれば短時間で効率よく勉強も進むだろうという淡い期待を抱いて速読スクールに通うことを決意しました。

 そこで、早速私は池袋の予備校に通っていたこともあり、クリエイトに行って体験レッスンを受けてみることにしました。教室に行くと、松田先生が説明をしてくれたのですが、先生は、本を読む速度は今の3倍くらいになれば十分でしょう、というようなことを言いました。その時私は、「他には1分間に10万字読めるようになるなどと言っている速読スクールもあるのに、たったの3倍とは随分なめたことを言っているなあ。俺はそんなにゆっくりしていられないんだ。来る場所を間違えた」と思いました。
 ただ、気弱な私は最後まで先生の説明をききました。説明をきいているうちに、確かに幼稚園児が読むような簡単な本を1分間に何万字も読むことは可能かもしれないが、専門書などの難しい本を速く読むのは難しく、そういう本を3倍程度の速さで読めれば十分のような気がしてきました。単純に計算すれば、択一試験は3時間半で解くのですが、これを1時間10分で終えられるということです。また、何よりも、誇大広告をせず、「3倍の速度くらいにはなります」というひかえ目な態度は信頼できると感じ、クリエイトに入会することにしました。

 松田先生は、速く読もう速く読もうと固くならないで、司法試験の勉強の合い間に気分転換するくらいの気持ちで来ればよいと言いましたが、その言葉で、来年絶対合格するためにはとにかく速く読めるようにならなければならないと入れこんでいた私は、リラックスして訓練に臨むことができました。もっとも、少しずつゆっくり自分の力が伸びていけばよいと考えていた私の意思に反して、集中力・速読力・記憶力等は短時間でかなり伸びたと思います。

 私がクリエイトに通って感じたのは速読や記憶にとって最も必要なのは集中力であるということです。集中しているか否かだけで読書速度等は全く違ってきます。クリエイトの90分の訓練はどれもあきさせないもので、90分間集中力を維持することが可能であり、これをくり返すことはより自然と集中力を身に付けることができます。この集中力が格段にUPしたことが私にとっては大変よかったと考えています。

 昨年余裕で択一試験に落ちた自分からは考えられないほどこの1年間で急速に成績が伸び、最終合格できました。これもクリエイトで学んだ成果ではないかと思っています。最後に、ぜひ一度、眉にいっぱいツバをつけてクリエイトの体験レッスンに足を運ぶことをおすすめします。受験生にとって必須のことを、至極当然のようにおこなっている学校がすぐそばにあるのです。

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クリエイトで学んだこと

1997年司法試験最終合格 渡邊 雅之

1.速読を始めたきっかけ

 昨年の9月下旬、司法試験の論文試験に落ちたのがきっかけだった。5回目の試験だったので、さすがにショックでどうしたら良いのか分からなかった。「26歳だからそろそろ働かなきゃ」ということで、司法試験の他に国家Ⅰ種試験も受けることにした。両方合格するにはもっと記憶力や判断力を良くしなくては、ということでクリエイトに入った。クリエイトのことは既に半年前に知っていた。4月に友人の長澤大輔さんに連れられて体験レッスンに行ったからである。その時はすでに択一試験に2回合格していたので、自分には速読は必要ないだろうと思っていたが、藁にもすがる気持ちで10月3日にクリエイトの門を叩いた。

2.クリエイトの印象

 4月に体験レッスンを受けていたし、すでに通っていた長澤さんから話を伺っていたので安心して受講を始められた。クリエイトの先端的なところは、英会話学校のように勧誘が押しつけがましくなく、また受講料も超リーズナブルであることだ。そして、他の速読学校とくらべれば段違いにシステムが整っているし、得られる効用も大きい(幾つかの学校のパンフレットを見たが、回数が少なかったり、やっていることをクリエイトに似せよう似せようという情けない印象を受けた)。
 8人の講師陣も多士済々である。松田先生の柔らかい物腰は、生徒をリラックスさせてくれる。桑田先生も優しく色々な本を紹介してくれた。大薗先生からはプラス思考のなんたるかを学ぶことができた。

3.クリエイトでの私

 はっきり言って私は劣等生だった。カウント呼吸法やロジカルテストは好きだったが、ランダムシートやイメージ記憶訓練には苦手意識を持っていた。しかし、松田先生に「これは競争じゃないんだから気楽にして下さい」と言われてずいぶん気が楽になった。

4.クリエイトの効果

 まず記憶力が向上した。公務員試験のため今までやったことのない行政法や経済学をゼロから学習しなければならなかったが、短期間で仕上げることができた。
 次に決断力や判断力が向上した。司法試験や公務員試験の択一試験で難しい問題があっても悩まず捨てることができ、どちらも余裕をもって終わることができた。
 また、論文試験でも答案構成をしなくても答案のイメージを思い浮かべることができた。イメージ記憶訓練の効果だろうか。

5.終わりに

 1997年は私にとって人生最良の年となった。司法試験に6回目にしてようやく合格できた。国家Ⅰ種試験も自分でも信じられないほど好成績で、総理府に採用された。クリエイトに、そして紹介してくれた長澤さんに本当に感謝している。

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文演Aクラスを受講して

第18期  一級建築士 松下光子

 文演Aクラスの案内を見た時、心を動かされた。私は、元来作文が苦手で、できれば一生書かないで済む職に就けたらと真剣に考えた時期があった。が、現実は、何をまちがえたか、報告書や説明書など作文技術が必要な職についてしまった。文章は書くが内容をはじめ、書くエネルギー、費す時間に毎度嫌気が差していた頃、「文演」のチラシが目に止まった。体験談がいくつかあり、当然成果がある旨が書かれている。具体的な内容はつかめぬまま、閉塞感を打ち破ろうと申し込んだ。

 では、文演Aクラスでは何をやったか。まず、基本的な文章作成のルールと文章の構成を教わる。ルールは既に習った事項もあるが新たに教わることも多い。次に、演習の進め方は、ルールや構成をただ概念的に説明するのではなく、素人の文章を材料に、文章上陥りやすい誤りを指摘することで理解を深めようとしている。これは、 文演の最大の長所だと思う。まるで自分の文章を指摘されているような気にさせるほど、似たような誤りを重ねてきたことに気づく。それから、作文については、全10回中1回ある宿題はともかく、「文章を書いてみたら」とさりげなく勧めることはあっても、決して強制はしない。あくまでも各人の自主性に任せる。これが、作文をついに出せなかった私が、多少後ろめたい思いをしながらも皆出席できた理由である。それでも演習10回を終え、私にもきちんとした文章が書けるのではないかと思わせる力が文演にはあるようだ。

 最後に、文演Aクラスの雰囲気はどうか。まず、講師自らが楽しんでやっている。いつも限られた時間では言い足りないようだ。そのことが、次回への興味を引きおこす。それから、文演は講師と受講生のキャッチボールを基本としているから、発言は重要であるが、発言をしなくても演習は楽しめる。発言したくなった時に話せる雰囲気がある。

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迷っているあなたへ

第17期  斉藤紀子

 あなたも経験ありませんか。たった一行の、ひとつの表現に圧倒されること、揺さぶられること。私は数え切れないほどあります。だから自分が文章を書くなど、恥ずかしくて考えられませんでした。当然「文演体験記」なるものを渡されても、にっこり受け取りそのまま家のごみ箱へ、でした。興味も必要もなかったのですから。
 ところが松田さんに、受講するようにと勧められたのです。
 「必ず」と言われました。必ずためになるから、と。
 Aクラスを終了した今、私ははっきりといえます。「必ずためになる、どころかこれは財産になる」と。

 あなたは文演にどんなイメージを持っていますか。正しい文章の書き方講座、でしょうか。もちろんそれが主体です。しかし私には、心を揺さぶる文章を生み出す感性と、文章を鮮明に感じとる心を磨く講座、のように思えます。
 ここでは、素人の作品をみんなで考え、それぞれに意見を出し合います。思いもよらない発言に「ああ、なるほど」の連続でした。負けじと自分も考えを煮詰めるうちに、筆者のさまざまな思いが見えてきたり、そしてこなかったり。よりよく直された作品を提示されたとき、その変貌ぶりに感動すら覚えてしまいました。ほかの受講生たちも同じようで、書くときも読むときも素通りしてきた些細なことに気づかされ、みんな一斉にどよめいたりするのです。
 作者が一番わかっているはずのその文章を、他人がほんの少し手を加えるだけで、豊かに生まれ変わる瞬間を体験しつづけるのです。
 そうして、書き手としてなら、どうやって人の心をとらえるか、いきいきとした文章を創り出すにはどうするかを考えます。また、読み手としてなら、作者におどらされずに自分の感覚で読み込んでゆくこと、奥に隠されたものを感じとることを学ぶのです。
 文章を読むときの、自分の心の動きや感じ方が、ずっと鮮明になりました。すると読むことが楽しいのです。書くことにも意欲がわいてきます。少しだけ自信もつきました。

 Aクラスを終了したら、読んだことのある本をもう一度読み返してみてください。きっと数倍おもしろく、豊かに感じられるでしょう。

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書くルール、読むルール

第16期  shizu

 「人の振り見てわが振り直せ」を文章演習講座にたとえるなら、「人の文章見てわが文章直せ」ということだろう。
 文演Aクラスでは、さまざまな違った意味での「名文」が教材として取り上げられる。ここでいう「名文」とは、「こういう文章はなかなか書けないんですよねぇ。本当にこれはいい教材です」と、松田先生をうならせる添削しがいのある文章ということである。たしかに読みにくい文章で、スッと頭に入ってこない。「どの部分が読みにくく、どう書き直せばよいのか考えてください」と課題が与えられる。これが意外に困難な作業だ。全体的に読みにくい文章だということはすぐに理解できても、どこをどう直すかということまでは、なかなか指摘できない。

 受講生にまず考えさせる。受身ではなく能動的に授業が進められていく。そして、最後に講師の考えが示され訂正文が与えられる。「えっ、これが同じ人が書いた文章?」と疑いたくなるほど、その文章はみごとにイキイキと生まれ変っていた。訂正するポイントについては、段階的にプリントが配布される。煮詰まったときには、この虎の巻を読み返せばいいのだと心強い味方を得たような心境だ。

 文演を通し、さまざまな文章を教材として、文章を書くルール、そして読むルールを学んできた。それにより、自分の文章を批判的に、客観的に見ることができるようになってきた。無駄な部分はないか、文章の構成はどうか、など推敲を重ねる作業が以前より増えた。文章を書く上での道しるべを与えてもらった気がする。

 また文演には思わぬ特典が付いていた。受講生が提出した作文・小論文をコピーしてくれるのだが、これが実に興味深い。十人十色の文章を読むことができる。帰りの電車の中、ワクワクしながらページをめくった。書き手の心の中を少し覗かせてもらったようで、読み終えた後は妙な親しみを感じていた。こんな楽しい特典があるとは思わなかった。得をした気分だった。

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文章演習講座で学んだこと

第16期  細谷博幸

 自分の書いた文章の善し悪しが判らない。これがこの講座を受ける動機だった。仕事で文章を書く機会が比較的多いため、書くたびに気になっていた。「文章の書き方」等の本を十冊は読んだ。でもあまり効果はなかった。申し込むときは、「本を読むよりは効果があるだろう」ぐらいの軽い気持ちだった。

 文章演習講座は会議形式で行われた。各人が自由に発言する。学校で教わらない、基本的ではあるが重要なことを教わる。おとなしくしているのが嫌なので、何か発言する。ピントのずれたことを言って恥ずかしい思いもした。回を重ねるごとに内容が難しくなって、だんだん発言しにくくなる。でしゃばって提出した文章のあいまいな部分を指摘され、書き直しもした(目からウロコがおちるのを実感した)。

 出席を繰り返すうちに、文章を書くための基準が身についてきた。文章の善し悪しの判断がつくようになった。文章の構成や骨格がハッキリ判るようになったため、読む時にも頭にスッと入ってくる。読むのも、書くのも速くなり、仕事にも役に立つようになった。文章を書く基本を知る前と後で、読み書きの方法の違いにいまさらながら驚いている。
 仕事でも文章を書くことでも必ず基本がある。基本さえしっかり身についていれば、あとは自分流に何をやってもいい。そう思うと書くことがとても楽になった。判りやすい、リアルな文章を書けることにより、思っていることが引き出しやすくなった。自分の考え、思いが明確になってきた。

 この講座を受けて一番良かったことは、文章を丁寧に味わって読めるようになったことである。当然のことだが、一つ一つの文章には作者の意図、思いがある。気に入った文章を読むときは、読んでいる文章を自分で書いているかのようにじっくり味わって読む。自分の過去の経験をフルに生かしながら。
 文章を読み書きすることが、より楽しくなった。

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文演は速読にも生きる

第16期  鈴木健史

 文章演習講座(以下、文演)Aクラスは、いわば初級である。だから、私のように日頃文章を書き慣れていない者に向いている。また、ここでは論文試験の合格や、もっと高い目的意識を持った人も多く、事実そうした人達の要求にも応えている。文演は、今の自分の文章をよくしたい、文章についてもっと知りたいという欲求を十分に満たしてくれる。要は文の長短に関わらず、文章を書く際の段取りや、筆者の言いたいことを解りやすく明確に伝えるためにはどうすればよいか、をここでは教えてくれる。

 実際私も、仕事がら申請書や礼状といった短いものしか日頃書かないが、二百字に満たないようなごく短い文章にも文演で学んだことは生かされている。文演を受講することで、文章の骨格を捕らえやすくなり、内容把握が容易にもなった。文演は速読にも生きるのだ。
 ある文章を読み、それについて各自気付いたことを話しあっていく方法は、ともすれば発言する人と、しない人とに別れてしまう。もっぱら後者に属する私は、帰り道ではすっかりめげていることも多く、続けていけるのかと不安になることもあった。しかし心配することはなかった。たとえ発言できなくても、ここで学んだことを知る者と知らない者との差は、日常にはっきりと現れるのだ。

 松田さんの言う通り、実際に自分で文章を書いてみるのが一番だとも思う。私はまだ一度も書いていないが、受講生の作文が、文演によって手を加える前と後ではその出来栄えは明らかに違う。
 速読等で得た知識をただ漠然と頭にほうり込むのではなく、論理的に消化する。また、自分がこれまで培ってきた考えをとりとめもなく書き表すのではなく、明瞭に表現する。個人的にいろいろと考えることが多い最近では、自分の考えを整理するのにも役立っている。