体験記

クリエイト速読スクール体験記 '15

「速読」はおまけである

梅木 恒

もう大学は無理かなと思っていた

 クリエイト速読スクールに通いはじめたころ、私は人生の窮地に立たされていた。私は高校を卒業して浪人中に体調を大きく崩した。にっちもさっちもいかない状態が何年も続き、とても大学にいける状態ではなかった。病気のせいか薬のせいか、頭はもやがかかったようなぼんやりとした状態で、もう大学は無理かなと思いはじめていた。

 もがき続けるなか、クリエイトの出している書籍をきっかけに教室に通いはじめた。体調不良のせいで教室に通えない期間が幾度かあったものの、どうにか慶應に滑り込むことができた。

 大きく回り道はしたけれど、クリエイトで磨いた情報処理能力はどんな場所でも通用する強力な武器になるだろうし、道を切り拓いていく助けになるはずである。

ほかの速読とは少し違うぞ

 もともと速読に興味があった。小さいころから本が好きで、速く読めるようになりたいとつねづね思っており速読について書かれた本を読んでいた。しかし、こうした本を読むだけで速読が身につくはずもなく、ただ日々が過ぎていた。

 クリエイトが出していた『キャリアが高まる1日15分 速読勉強法』を書店で見かけた折にも、これまでの速読本と同じく当然のように手に取りパラパラとページをめくった。めくるうちに類書とはどこか違う感覚がしてくる。ロジカルテストやスピードチェック、イメージ記憶などといった頭を使いそうなトレーニングが並ぶ。視野拡大が全面に押し出されるほかの速読とはだいぶ違う。さらにパラパラとめくっていくと大学受験塾SEG(エスイージー)と提携しているとある。あのSEGと提携しているとあらば、効果がないはずはない。ここに通えば錆びついた頭がどうにかなるかもしれないという一縷の望みを胸に、とにかく一度体験レッスンを受けることに。

簡単には身につかないと納得

 いま思うと恥ずかしい限りではあるが、多少は頭の回転がいいはずだというわずかながらの自信は、体験レッスンで見事に打ち砕かれた。周りの人がすいすいと解いていくロジカルテストは思うように解けず、スピードチェックも思うように見つからない。しかもそれが数字となって突きつけられる。体験前に本に掲載されているトレーニングをして少し「予習」をしていたのでよくできるだろうとの思いとは裏腹に、頭がいいかもしれないという思い上がりは瞬く間に消え失せ、危機感が募りはじめた。

 体験レッスン後に各トレーニングの説明と結果の説明を受ける。その中で速読を身につけるためには、基礎的な情報処理速度を上げる必要があり、それは一朝一夕に身につくものではなく地道なトレーニングが必要だと言われた。

 世にあふれる速読本で速読が魔法のように簡単に身につけられることを謳っているのを訝しがっていた自分にとって、速読は簡単には身につかないと言い切られたのには、強い納得感があった。読むのが速い人や情報処理能力が高い人は鍛錬の結果であって、自分はそうしたトレーニングを怠ってきたから能力が低い。

 だとしたらクリエイトでトレーニングを積むことで、頭の回転が元に戻るだけではなく、以前よりもましな頭脳を手に入れることができるのではないかと思い、入会を決めた。

初めは気がせいていた

 入会して10回目ぐらいまでは毎回のレッスンの最後に行なう倍速読書(速読のための実践トレーニング)の読字数を伸ばそうと「速く読もう、速く読もう」とするあまり気がせいてしまって、本の内容が頭に入ってこず数字が伸びなかった。行き帰りの電車内や自宅での読書でもやはり速く読もうとしてしまって、本の内容が頭に入ってこない。もしかしたら速読を身につけられないのかもしれないと思いはじめる。

 しかし通い続けるうちにロジカルテストをはじめとする中盤の数字が上がりだし、次第に読字数よりもトレーニングの数字をよくするために教室に通うようになっていった。トレーニングを通じて錆びついた頭がぐんぐん回転しはじめるのが楽しくて仕方がなかった。

 興味の対象が頭の回転をよくすることに移っていったせいで、ほかのトレーニングと同じように余計なことを考えずに集中して倍速読書に取り組めるようになった。

「速く読もう」から「集中して読もう」に

 するとどうだろう。あれだけ伸ばそうと息巻いて空回りしていた読字数がするすると伸びはじめた。意識が「速く読もう」から「集中して読もう」にシフトしたせいで、速く読めるようになってきたのである。よくよく考えてみれば当たり前のことである。速く走ろうと思うだけでは速く走れるはずはない。速く走るための練習をして、結果的に速く走れるようになるのである。これと同じように、視野を広くしたり頭の回転をよくしたりして速く読むために必要な能力が鍛えられた結果、おのずと速く「読める」ようになるのである。

 至極あたり前のことなのだが、入ってしばらくはこのことに気づかなかった。一足飛びに速く読めるようになろうとするのではなくて、目の前のトレーニングを必死になって集中してやり続けることが重要なのであった。

意識的に速く読もうとしなくても、速く読める

 速読と聞くと、速く「読もうとする」ことだと思われることが多い。ほかの速読法を知らないので断定的なことは言えないが、BTRメソッドの速読は違う。速く「読める」速読なのだ。飛ばし読みをしたりするわけではなく、情報処理能力が鍛えられた結果、読書スピードが上がる。それゆえ、意識的に速く読もうとしなくても、自然と速く読めるのである。

 ただ注意したいのは、ゆっくり読んでもわからない本が簡単に読めるようになるわけではない点だ。難しいものは難しいものなりに、簡単な本は簡単な本なりに速く読めるようにしかならないので、この点は誤解が多いので注意が必要であろう。

真価は集中力とワーキングメモリの拡大

 「速読」スクールに通っているのに、こう言ってしまうのは気が咎めるが、あえて書く。

 「速読」はおまけである。

 その真価は各種トレーニングを通じて、集中力とワーキングメモリの拡大を実感できることである。この体験記を書いている段階で295回受講している。読字数自体には何の不満もない。それなのに教室に通い続けているのは、集中力とワーキングメモリを鍛えるためである。

 ワーキングメモリを鍛えられると実感できるトレーニングの一例は、ロジカルテストだ。「AはBより大きい。BはCより小さい。一番小さいのは?」というような問題を3分間で30問解くトレーニングである(ここに載せた例はごくごく初歩的なもので、レベルが上がってくるとさらに複雑な問題が出てくる)。

 このトレーニングでは、問題文を読みながら頭のなかでA、B、Cの大小関係を整理して答えを出さなくてはならない。AとBの大小関係を頭に留めつつ、さらにBとCの関係を分析して答えを出す。

 このように何かを頭に留めつつ作業するときに使う記憶力がワーキングメモリなのだという。この記憶力を高めることができれば、試験のときに役立つのはもちろん、仕事や読書など一時的に頭に情報を留めながら考え事をする局面で大きなアドバンテージになる。

 実際、BTRメソッドで鍛えたワーキングメモリと集中力は、大学入試では大きく役に立ったと思う。英語のリスニング対策で聴いていた「The Economist」のオーディオブック版は、等倍再生では遅すぎるように感じ3倍速で余裕を持って聞き取れるようになったし、慶應義塾大学環境情報学部の入試では、英語の試験時間120分のところを30分で解ききれるまでになった。

時間的な制約を理由に目を通す資料を減らす必要はない

 入学後の学業でも大いに役立っている。ゼミで資料を作成するケースでは、基礎調査の段階で多くの資料を読み込む必要がある。業界紙を数年分いっきに読んだり、関連する雑誌や新聞の記事を短期間でいっきに読み込み、意味合いを出さなくてはならない。

 それでも読むのが速くなったおかげで時間的な制約を理由に目を通す資料を減らす必要はないし、鍛えに鍛えたワーキングメモリのおかげで多くのことを考慮に入れながら資料を読み進めることができ、高い生産性を発揮できている。学業のほかにも、これまでにインターンで行ったどの企業でも、資料のクオリティの高さと提出までの時間の短さは評価してもらっている。

 教室に通いはじめる前も情報処理能力には自信があったが、いまは誰かに負けるということが考えられないぐらい自信がある。もはや頭の回転が問題になることはない。事務処理を素早く仕上げて満足する段階を抜け出し、どれだけ高い付加価値を出せるかが問われている。

いかにトレーニングの場で自分を追い込むか

 私は、本、通信教育、教室の3通りの方法でBTRメソッドのトレーニングを体験している。本や通信教育には自分のペースで進められる気軽さがあり、教室ではトレーニングの難易度を講師の方に絶妙なレベルに設定してもらえるなど質の高いトレーニングが期待できる。

 しかし、それぞれのトレーニング内容自体は大きくは違わない。要は、本にしろ、通信教育にしろ、教室にしろ、大切なことはトレーニングに集中することなのだ。

 事実、教室に通うだけで伸びるほど甘くはない。ただ回数をこなせば能力が上がるかといえばそうではない。自動的に能力は伸びない。教室は伸ばすための環境が整っているだけなのだ。伸びるかどうかは、いかにトレーニングの場で自分を追い込むかが重要になってくる。どれだけ気合いを入れて集中し力を出し切ろうとするかが最も重要である。これができなければ能力は伸びない。何かに打ち込んだ経験がある人ならわかるかもしれないが、質の高い練習をするためには集中して力を出し切ることが鍵になる。受講生のやる気があってはじめて意味があるのだ。

 BTRメソッドでは、つねに全力を出してトレーニングに臨むことが求められる。何となくレッスンを受けても能力は伸びてはいかない。ただ教室に行って90分過ごしていても意味はない。

 どれだけ自分自身にプレッシャーをかけられるか、ひいてはどれだけ自分自身と向き合えるかが重要なのである。レッスンを受け終えて余裕が残っているようではいけない。頭がくたくたになって何も考えられないというぐらいまで力を出し切らないとならない。これは本でトレーニングするときも同じだ。

 クリエイトは、「通うだけで速く読めるようになりますよ」などと甘くささやいてはくれない。地道に努力し続けることを求める速読スクールである。平坦な道のりではないが、その実りは大きい。

 教室に通いはじめてもうすぐ6年、受講回数にして300回近くなる。それでもまだまだ能力に満足していない。教室には優秀な方々がたくさんいらっしゃる。そうした人と一緒にレッスンを受けるたびに、果てしなく上は遠いと思うと同時に、彼らに追いつくために研鑽を積まなければと思うのである。

 『脳のワーキングメモリを鍛える 速読ジム』(日本実業出版社)所収

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それは本当にもったいないのだ

田上 雪音

 今回私はクリエイトで扱っている速読、文章演習講座、そして通信教育(ユーキャン)、という3種全てをコンプリートしたということで、体験記のお話を頂戴した。ここには能力も素晴らしく、かつ立派な肩書きもある方々がゴロゴロいるというのに、こんな路傍の石が声を掛けて頂けるとは恐縮なことである。そう思っていたら「アンケート(速読の受講10回ごとに提出するもの)に本音があるから」とのお言葉をいただいた。

 こちらはこれまでメールで提出していた「10回ごとアンケート」を読み返した際、我ながらあまりにキレキャラを披露していたことにガッカリし、やたらと昔を振り返って書き連ねるのはやめようと思った矢先であった。何がどう転ぶか分からないものではあるが、「速読」に興味のある人、文章演習講座を検討している人、クリエイトや通信教育ユーキャンの速読講座をスタートしたものの思うように結果が出ないと暗中模索をしている人、そして勉強法自体を探していたり「頭が良くなる」系のキーワードについ釣られてしまう人たちのご参考になれば幸いである。

【きっかけ】

 速読に興味を持ったのは、「ものすごくやりたくないけど逃れられない業務」を何とかサクッと終わらせたいと思ったことがきっかけである。ああ、こんなつまらない(分からない)本なんてさっさと終えて、もっと楽しい本を読みたい! と、試験前のアホ学生のような思いから速読を調べ始めた。

 私は何か新しいことを学ぶには直接習いにいくのが最も効率的だと思っている。そのため速読も本などによる自習ではなく、スクールを中心に探した。まずは速読そのものを検索し、次にスクールを探す。そのそれぞれの感想を読み、

  • 自演ではないのか?
  • 料金は幾らか?
  • 効果はどういったものか?
  • そもそも効果があったと書いてる人は元々自身の能力が高いだけではないのか?

 と、根暗く疑ぐり深い視点で数日間ひたすら探すなか、クリエイトのHPも見始めた。トップページの更新履歴がえらく少ないようだが大丈夫だろうか。過去に来ていた「たまたまスゴイ人」の出した結果や、大分昔に書かれたホメ上手の文章にすがっているんじゃなかろうか。とはいえまずは体験記があるのでそれを読む。

 ところが最新のものから順に読もうとしたところ、司法試験や公認会計士といった、自分とは何の縁もない立派な資格に合格した人たちの文章がそこには立ち並んでいた。いや……あのー……私、そんなスゴイことは求めておりませんでして。

 元来卑屈な性格のため、効果が曖昧であるスクールはもちろんだが、スゴ過ぎる所も検討対象から除外したくなる。だってそれって来た人の元々の頭がいいからついていけるって話じゃなくて? ダメ寄りの一般人の私がやって同じように出来るとは限らなくない? 第一ウソっぽくない? と。ところが中に一つ、異彩を放つタイトルを見つけた。

 「アル中から私を救ったクリエイト」

 ……なにこの新興宗教チックなタイトル!

 読み始めると、よくあるだらしない酒好き程度の「いわゆるアル中」ではなく、もはやアルコールで脳が変性してしまい、今断酒しなければ5年以内に死にますよ宣告をされてしまった相当深刻な状況の人の体験記であった。

 おおおおおっ! 萎えた興味が一瞬にして湧き始めた。読み進めるにつれ、感心するというより私は感動をおぼえた。一時は九九もおぼつかなくなり、名前すら書けなくなったような人が、こんなにも破綻なく整然とした文章を書き、数々の資格を取得していっている。つまり機能回復だけでなく新しいことにも挑戦し、成功しているのだ。

 前職で脳疾患の後のリハビリに携わっていたことがある。普段意識に上ることさえなく出来ていたような動作を、大の大人がイチからやり直さねばならない苦痛や悔しさ。恐らく働き盛りと思われる年齢のその人が、こんなにもひどい状態から取り組んだことはどれほど辛い格闘であっただろうか。それなのにここにはサラッと楽しかった、と書いてあるではないか!

 これなら自分も何とかなるかもしれない。どれだけアホで移り気で、仮に気づかぬうちに若干脳が萎縮していたとしても(アルツハイマー家系なのでちょっと心配)、さすがに日常生活にまだ支障はきたしていないのだから、そんなに激しくは変性していないだろう。そもそもこんな状態の人が頑張ったというのに、自分のドン臭さは生まれつきだなどと言って逃げている場合ではない。どうやら彼は速読だけでなく、文章演習講座というものも受けたらしい。そうか、それでこんなに読みやすい文章を書いているのか。当初の目的もコロッと忘れて文章演習講座(以下文演とする)に心は傾き始めていた。

 いいんじゃない? ここ。と期待を込めて更に(興味の湧かなかったスゴい人たちの)体験記を読み進めると、司法試験などに受かった人たちも決して最初から賢かった人たちばかりではないと知る。そしてブログも発見した。しかしこちらは全く意味が分からなかった。なんの数字を羅列しているのか、ブログで新規顧客を呼び込もうとは思っていないのか(→思っていなかった。受講生向けだった)。とはいえ数年間かなり頻繁に更新を続けているのだから、それなりに実績はあるはずだ。仮に嘘だとしても、これだけ毎日のように虚構の内容をアップしているのであれば、その執念にそれはそれで敬意を表そう。

 こうして講座の案内を読み始めると、文演は速読を受講している人しか参加できないことを知る。よしよし、それならやはりひとまずは速読で通おう。と、教室へのアクセスを確認した途端、悲劇が。クリエイトって池袋にしかない! 池袋? 池袋だけ? よりによって都内で池袋だけって!? 当時関西在住であった私にとって、池袋はどうあがいても通うことができない場所であった。

【通信教育を受ける】

 仕方ない。だいぶテンションは落ちたが通信教育でいこう。嫌なんだよ、自習は苦手なんだよ、やりきれるのかなあ、やりきれなかったら自己嫌悪に陥って余計悲しくなるよ……という、やる気はあるのに激しくネガティブなスタートを切った。

 ムダにはすまいとトレーニングの予定を予めスケジュールに入れこみ、3か月分ザックリと時間の確保をした。しかし、実は単なる時間の確保だけでは足りなかったのである。説明は読んでいるので字面上は理解して電話の電源オフなどもしていたのだが、本当に必要なのは「集中できる時間」だったのである。

 我が家には猫がいる。トレーニングを邪魔されないよう事前に餌をやり、電話も切った。しかし、両手でシートを持てば、ワザワザその腕を枕に寝にくるもの、「今すぐ撫でなきゃこの壁で爪をとぐ」と目の座った顔つきでこちらをチラ見をするもの等、それらが思い思いに波状攻撃を仕掛けてきたのである。一体何を察知しているのか。兎にも角にも最初の段階のトレーニング全てをそんな惨憺たる状態で終了してしまい、1分間の読字数も初速よりも下がるという惨敗っぷりであった(ただし、これはよくあることらしい)。

 だめだ、このままでは無意味な状態で終えることになる。心機一転、次の段階からは仕事場で終業後にそのままトレーニングを行うことにし(出来る環境であった)、これは成功した。これでようやく場は整ったが、今回体験記を書くにあたり、かつて提出した内容物を再読して幾つかの敗因に気がついた。

  • 自分の選んだ倍速読書トレーニング用の本が悪く(悪い=トレーニングをしづらい)、準備した冊数も少なかった(読み方をセーブしてしまう)
  • 市販の本を使うため倍速読書をトレーニングと割り切れず、つい「本をちょっと急いで読む」程度にしか出来ていなかった(理解していなかった)
  • 質問をし、アドバイスもちゃんと頂いているが、それを実行できていなかった(当時はやっていたつもり、でも今振り返るとその内容を理解していなかったことに気づいた)

 要は言われた通りにやっていなかったのである。もしいま通信教育でなかなかスコアが上がらないと悩んでいる人があれば、指示された通りに行っているかを各トレーニング毎に細かく点検するといい。また、上手くできないのは何故かと当時散々悩んでいたが、もっとオンラインを活用して、きちんと腑に落ちるまで質問をすればよかったと反省している。後半のトレーニングになるほど1回に掛かる時間が長くなるため、なかなか思うように時間をとれず、終了までに4か月ほど掛かった。その結果1分間の読字数は初回1,840字/分→最終6,923字/分となった。

【教室へ通う】

 その後我が家に転機が訪れる。夫の仕事に合わせ、関東に戻ることにしたのである。戻るにあたり、クリエイトに通うことは自分の中での当然やることリストの一つに含まれていた。だって文演受けたいし、読むスピードももっと上げたいし!

 実際に教室に通いだすと、通信教育との違いを幾つか感じた。語弊がないようにしたいが、教材自体は全く一緒だし、やること自体もほぼ変わらない。教材の紙質はユーキャンの方がいいものさえある。初めて教室で受講した時、私の冊子お譲りしましょうか? と一瞬思ったくらいである。更に言うなら提出物の返信を書いて下さっていた講師の方たちも一緒であり、場所が違えどもほぼ同じトレーニングをしていたことに気づいた。そのうえで私の感じた違いを述べると、大別して二つある。これは通える人は最初から教室に行ったほうが絶対的に伸びやすいし面白いですよ、とオススメする理由でもある。

1.トレーニングだけに集中でき、かつ飽きずに臨める

 通信教育の頃は「次の制限時間は何分何秒か」「冊子はどれだ」などと一人バタバタしながら準備をしていた。元々集中力が低いこともあり、いつも出足は落ち着かない状態で臨むことが多かったのだが、その頃と比べると都度、内容に落ち着いて臨める度合が雲泥の差なのだ。

 また、講師の方々は受講生の成長度合いに応じて内容をカスタマイズしてくださる。シート訓練には単調さを感じやすかったのだが、教室でのそれは他の受講生と競争するなども含めバリエーションに富んでいる。こういったことは一人で行う通信教育では展開出来なかったが、当時楽しさを見出しにくかったシート訓練も今では「もっと!」と前のめりで行っている。

 また、倍速で使用する本が豊富で、小説・ビジネス書を問わず新刊が次々と入っているのも嬉しい。気になっていた本をクリエイトで発見することは多々あり、どんな本を選べばいいのか悩みながら書店をうろついていた私からすると、単純に面白そうな本と出合うという楽しさ自体も通うモチベーションの一つとなっている。

2.図抜けた人たちを見られる

 そして決定的な差と考えているのは、他の受講生を直接見られることである。

 どれだけブログや紹介文にすごい話やスコアが載っていても、それらがどんな速さで行われているのかを実際に目にしなければ疑心暗鬼でいっぱいになってしまうのだ。本当にこんなスコアって出るの? なんか上乗せしてない? と自分が不出来なことを棚に上げ、つい疑ってしまうのである。

 ところが教室に行くと、そんな疑いが一気に吹き飛ぶ。こちらからしたらまだ序盤ほどの短い時間で同じ訓練を終了してしまう人がいたり、ペラッペラと秒速でページをめくっていくような人たちがそこにはいたのである。初めてその姿を目にした時は思わず「先生、一人パラパラ漫画見てる人がいます!」と言いつけたくなったほどである。おそらく知らない人が見れば図表でも探しているのかと思うような速さであろう。

 しかもブログにはそんな超人たちの、とても、とても普通だった最初の頃のスコアが載っている。つまり普通の人が続けた結果であることが分かるのである。それがなければ単純に「頭がいい人って色々全体的にどうかしてるんだな」と自分と切り離して終わりだろうが、粘れば全スコアとは言わないまでも、到達可能であることに励まされるのである。

 トレーニングに臨む際に意識すべきは、これまでの自分のスコアを少しでも上回ること。しかしハイレベルな結果を出している人を間近に目にすることで、自分だけではかけきれない負荷をその姿から得られる。速い人が側にいるときは気を取られつつも、ペースランナーと仮定してついていこうとしており、そういうときはやはりスコアが上がることが多い。受講85回目の読字数は16,100字/分となり、倍速後の分間読字数が(一つの節目と考えていた)10,000字を超えるようになっている。

【文演】

 さて、教室に通い出して数か月後、私はとうとう念願だった文演を受講する。いやー、やりたいと思っていたことができるってつくづく嬉しい。大病をされたそうだが文演をやるだけの体力が松田さんに回復してくれてよかったよかった、などと身勝手な感謝もした。

 受講の目的としては本を読む際の手助けとしたかったこと、そして自分自身で書く文章をより良いものにしたかったことの2つである。この講座が終わったら文章は深く読み込め、文章力も著しく向上し、サラッといい文章・分かりやすい文章を書けるようになるのではないかと期待していたのである。ところがいざ講座で最後に課題を提出する段になると、そんな考えが全く浅はかであったと気づかされた。つくづく速読と同じで、ただ方法を知っただけでは当初の目的の半分も達成できないのである。

 もちろん文演はとても面白かった。かつて読んだ文章で違和感を感じていた理由が次々に判明したり(この指摘が目からウロコで、後から後から、かつて何かモヤっとしながら読んだ様々な文章が思い出された)、渡されたテキストに対する他の受講生の指摘を聞き、自分には欠けていた視点を知ることも出来た。同じ文章を読んでいても他人はそんなことにまで注意を払って読んでいたのか、と自分の甘さを知ったのだ。しかし相変わらず何かが引っかかると思えば幾度も読み返すし、文章を書けば見直しつつ書き直してもいる。

 これは難しいですよ、無駄ですよと言いたいのではない。それどころか全講座が終了する前から即座に役に立った。「あなたの説明が一番分かりやすかった」と言われたり、誤解のないように配慮したメールを打ち、意図通りに作業を完了してもらえたときのしてやったり感は、仕事上の密やかな楽しみの一つにもなっている。しかし、速読もそうだが文演で学んだことはとにかく実践ありきなのである。学んだことを踏まえながら書き続けてようやく掴めるものなのである。

 したがって大学生や院生、レポートを作成するような業務に就いてる人などには強く受講をオススメしたい。なぜなら受講した後も文章を書く機会が多いため、熱いうちに鉄を打つことができ、効率的に習得できるからである。また、自分が述べたいことを人に正しく理解してもらいたい人、指導員や上司にメールや資料が「分かりづらい」と指摘されたとき、読む側の能力が足りないのだと密かに毒づいてしまうような人にも万障繰り合わせて受講されることを勧めたい。受講するにつれ嫌な汗をかくこと請け合いだが、それ以後自分が書く文章の質はグッと上がるのである。

【副効用について】

 通信教育からスタートし、自分の実感する読字数の向上自体は思うほどではなかった一方、始めるまでは考えもしなかった副効用を得たことは早々に気づいた。どれもこれも高校生の頃に、もっと言うなら中学生の頃に身についていたならどれほど人生が違っていただろうと思わずにはいられないものばかりである。

1.集中力の向上

 始める前は体験記を読んでもあまりピンと来ていなかったが、クリエイトでのトレーニングは確実に集中力が上がる。それまで何をするにしても常に散漫な状態で行っていたからその重要性が分かっていなかったのだが、本当にコレってすごい!

 例えば新聞を見開いたときに目に入るあちこちの見出し。以前はもう端から気になって視線が右往左往し、途中まで読んでいるのに他のタイトルが目に入ればそちらに移ってしまったりと、読むのにとても時間がかかっていた。それが気づけば一つの記事を読み通してから次に移る、という他の人には当たり前でも私にとってはとても快挙な読み方が手に入ったのである。集中するってこんなに物事がスムーズに動くものなの!? という遅ればせながらも新鮮な驚きがあった。

2.頭の切り換え

 次に頭の切り換え。以前は順番通りに行わないことにどこかズルをしているような気持ちを抱いていた。それが何かの作業を並行して行ったり、順序を変更してみたり、完全に把握していなくてもひとまず先に進んでみるといったことが、ごく自然にできるようになってきている。不得意な何かがあっても、全ての質が落ちるわけではないと気づいたのだ。

 これは仕事の効率といった面は当然だが、生きること自体にも関わる判断力のようで、無駄に自分の首を絞めていたようなかつてのキツキツ感が減り、ちょっと生きやすくなってきたよなあ、などと思っている。

3.構成力・イメージ力

 また、教室に通いだしてから強化されたものとしては、頭の中で構造を組み立てたり、複雑な話を追ってイメージしていく力がついてきたことを挙げたい。

 以前は小説の筋を追うのはいいが、部屋の間取りの説明などは華麗にスルーして読んでいた。正確に言うと読んでも分からないだろうから、とハナから考えることを放棄していた。しかし(通信教育にはなかった方法も含めて)トレーニングを受けていくことで、建造物の構造や実物が分からないものも思い描きながら読むようになってきている。話の筋で追いきれなかった(イメージしきれなかった)部分も、他の情報から構築して当てはめていく余力も生まれた。これのおかげで作業の効率が上がったり、物事を多角的に見られるようになってきたように思う。なぜなら「そんな風に作業するなんて斬新」「なんでそれに気づいたんですか?」といったことを、自分の知識の積み重ねとは別の判断を行った際にも言われるようになってきたからである。

4.ロジカルテスト

 文章の読解力についてはロジカルテストがカギと思っている。最初にロジカルに臨んだ時は本当にゲンナリだった。こういう論理テストみたいの、絶対ダメ。だってナゾナゾとか羊と狼を運ぶ川渡り問題みたいなアレ、分からないことが悲しいから極力避けてきたんだもの。さぞかし悲惨な状態なんだろうよ、イヤだイヤだ……と悲嘆しながら解いてみたところ、意外や結果はそう酷くなかったのだ(あくまで当社予測比)。地べたを這うようなスコアかと思ったら、そうでもなかった。あれ? 意外に普通だったかも? という程度ではあったが、このことでロジカルは楽しみなものへと変わった。それは自分に小さな自信を抱かせるキッカケの一つにもなった。

 レベルが上がるたび、いきなり解ける数は減り間違いも多くなる。少し言い回しが変わるだけで、一つ項目が増えるだけで頭の中での組み立てはフワフワと揺らぎ、時間もかかる。しかし、ムキーッ出来なかった! という悔しさは湧いても、解くこと自体は楽しいのである。回数を重ねてくると、次へ、次へと問題を解いていくさなかに「本当にこの一文が一目で見えてる? この速さの判断で合ってる?」という自分への不安がチラリとよぎるが、これがちゃんと正解してくるのだから面白い。

 現在ようやくCタイプの後半まで進んだが、まだまだこの先には長い道のりが待っている(ブログを読むと20段階以上あることが分かる)。早く次の世界を見てみたい。早く次の種類の問題に出会いたい。得意じゃないのに面白くなってしまっている私の、この先の楽しみである。ブログを読むと、DやE、F、Gといったレベルにあっても「伸びない」と悩んでいる人たちがおり、こちらからすると彼らのそれはいわばオリンピック選手の苦悩のようなものだ。この人たちが文章を一読したときの読解力は一体どんなものなのかつくづく知りたいとは思うが、実のところそれを知るには結局自分でたどり着き、自分がその世界を体験するしかない。そしてそれは私にもいつかちゃんと掴める世界なんだと今は思えるのである。

5.イメージ記憶

 トレーニングの一つであるイメージ記憶は、いわゆる記憶術として巷で単体の講座があるものと同様のため、初めて知ったときにはなんだかお店の人が黙ってお得な商品を現品丸々一個つけてくれたような気分であった。上記の3.を容易にするのにも役立っているが、以前読んだ本を思い出す際に「あの場面があった本」と映像で思い出されることが多くなった。かつては読んだ本の場面や内容が記憶に残っていること自体がとても少なく、「昔読んだけど中身は覚えてない」ものばかりで、よっぽど面白いもの以外は中身が消え失せていることが多かった。全てを無理やりイメージしようと力んで読んでいたわけではないので、イメージ記憶が貢献してくれていることは間違いない。

【最後に】

 速読も文演も、どちらも楽しい。そして知ってしまうとそのどちらもが「もっと早くに受けるべきだった」と思わずにはいられないものであった。小学生と思しきお子さんが教室にいるのを見かけると、この子の将来はどれだけ面白いことになるんだろう? と目を細めてしまう(でもイメージ記憶は大人の方が得意なんだからね!)。いいなあ、こんな年齢で受講するなんて、と羨ましく眺めてしまう高校生でさえ「中学生の頃に知っていたら」と悔やんでいる。

 もし通える状況であるにも関わらず躊躇している人があれば、それは本当にもったいないのだと仁王立ちになって言ってお聞かせしたい。そして自分に自信がない人にほど、くれぐれもオススメしたい。クリエイトのトレーニングを通して身につくスキルは、「デキる社会人になるための必須のツール」だから、などという薄ら寒いことを言いたいからではない。1分、30秒で出来ることの幅をグイッと広げ、短時間に下した自分の判断を信頼し、粘り腰の思考力を身につけていく。自身への信頼度を増し、追い詰められても投げずに取り組み、実力を発揮する強さ。それらはどんな年代にも必要で、そうしたものがジワリと浸透するように身についていく習い事なんてそうはないと思うからだ。

 自分が薄らぼんやりとした時間を過ごしている間に、力いっぱい努力している人たちがいた。仕事や学校以外にも90分を必死に過ごしている人たちがいた。それは今も続いていて、もし私が何もしなければその差は開く一方だ。しかしその「誰か」との差をただ焦り、諦めるのではなく、自分自身の土台を築きあげ、確固としたものにしていける場がクリエイトなのである。良いもの見つけちゃったなー、と教室に通いだして3年目になる今も思っている。