大学合格体験記集

文章表現スキルアップについて

慶應義塾大学経済学部合格 私)城北卒 山下 修平

 文章を書くのは昔から好きだったし、得意でもあった。でもいつの頃からかいざ文章を書くという段階になると、とたんに筆がとまるようになってしまった。理由は簡単、いままでの文章は誰かの借り物だったからだ。気に入ったフレーズを巧みに自分流にアレンジしていただけだったのだ。やる前は得意だろうと思い込んでいた小論文もいざ自分の言葉で書こうとすると、つい手が止まってしまう。入試には小論文も使うし、将来は文章を書く仕事につきたいと思っていた自分にとっては思わしくない事態だった。そんなとき見つけたのが、高校時代通っていたSEG塾の春期講習にあった速読の講座だった。僕は「速読」という、その講座の売りとなる部分よりも、講座説明にあった「5日間の講習のうち、最終日では文章の推敲について講義します」というワンセンテンスに目をつけた。とにかくはやいとこ文章をまともに書けるようになりたい、と思っていた僕はすぐに受講を決めた。

 推敲の講義は、あらかじめ用意された文章の欠点を指摘していくという形態だった。他人が書いた文章を批評していくというのは思ったよりずっと刺激的だった。松田さんがときおり、僕みたいな素人にとっては理不尽とも思える突っ込みを入れたり、文法上の誤りや段落分けのミスをバリバリ指摘するところは見ていて、痛快だった。あとでよく考えてみるとそのどれもが的確で、そのようなミスを修正した書き直し例ははじめとは比べ物にならないくらい読みやすく、内容の鮮明さが違っていた。

 こんな調子で自分の文章について批評してもらえたらどれだけいいだろうと思い、春以降の通常授業でも開講している「文章表現スキルアップ」という講座にすぐに申し込んだ。講座を受講する前提として初回の講義までに文章をひとつ書いてくるよう言われ、僕は四苦八苦することになったのだが、春期講習で獲得した知識を総動員してなんとか書き上げた。その文章は案の定、多くの批判を松田さんから受けることになった。僕が読んだ限りでは「いいじゃん」と思った他の受講生の文章も、同様に様々な指摘を受けていた。「この文章はどういう意味なんでしょうか、どういうことを言いたいんでしょうか」という松田さんのエグイ質問にしどろもどろしている人も結構いたので、自分だけが苦労して文章書いてるのではないんだな、と安心したりしたものである。もちろん批判してばかりではない。読んでいる方が恥ずかしくなってしまう、率直に言えばクサイ文章でも松田さんはそれを「瑞々しい」と表現し、文句を言うどころか個性的だとして誉めていた。心の中でその文章を小馬鹿にしていた僕はすこし反省してしまった。

 この講座の特長は、文章の理想のかたちを決して示さないことだ。よいところは誉め、マズイところは指摘する。つまり、個人が持っている特徴的な部分を最大限プラスの方向にのばしていくのである。「これが良い文章の例ですよ」といって自分の文章をその文体に近づけていくのではなく、自らの持ち味を損なわないように鍛え上げていくのだ。そうした作業は松田さんの主観だけでなく、受講している皆の意見によってすすめられる。そうやって個性的でかつ客観的にも見苦しくない文章を書けるようにしていくのだ。実際、僕も2回目の提出では自分のよい部分をそれなりに発揮し、人の目を意識したものを書けたと思う。こまかい言葉使いや句読点などに多少不適切な部分があったが、松田さんや他の受講生の評価も総じて1回目の文章よりずっとよかった。なかでも、すごくいい文章を書く人だなと思っていた受講生から「こんな文章かけるのがすごいうらやましい」という声をもらったときにはこの講座を受けてきた意味がはっきりと感じられた。

 高2の4月からスタートし11月で講座は終了したが、このときに得た文章に関する知識は小論文、レポートなどに非常に役にたった。最近ではあまり自分の文章をじっくりと吟味したりすることはないが、すらすらっと書いた部誌の投稿文でも「おもしろいね」などと言われた。文章で飯を食うことは無理だろうが、少なくとも他人を喜ばせることはできると思い、密かにわずかながら自信がついてきた今日この頃である。